ナビ3
第4回 「よみがえるフロイトの夢」 [2005.10.27]
本HPのナビ8の「日記」(10/17)に書いたが、『マンガ フロイトの「心の神秘」入門』(講談社、1999年10月刊)がある出版社から文庫化されることになった(まだ、ここだけの話です)。
面白くして付加価値を高めて、たくさんの方に買っていただけるように、現在、工夫をして再編集しながら、新しい原稿を入れるために書いている。
「日記」(10/17)に、脳の研究が進み「脳地図」が明らかになり、フロイトの「心はエス・自我・超自我からなる」(『自我とエス』1923年)という説などが裏づけられつつあることを書いた。
その後もう一度、情報源であるM.ソームズ「よみがえるフロイト」(「日経サイエンス」2004年8月号」)を読み返した。
このソームズらが中心になって、神経科学者と精神分析家が協力して、2000年に国際神経精神分析学会をつくり活動をしている(本部はロンドン)。
この会の会報の編集委員には、脳の記憶の情報伝達経路を明らかにして2000年度のノーベル賞を受賞したエリック R.カンデルがいる。
彼は、「フロイトの精神分析学が依然として最も一貫性があり、説得力のある心のモデルである」と考えている。
フロイトが神経科学者として、「科学的な心理学」、つまり、誰にでも通用する心理学をつくりたいという夢をもったのは1895年なので、すでに110年がたった。
彼らは、フロイトの理論に誤りがあれば正して改めながら補い、フロイトの仕事を完成させようとしている。
フロイトはアドラーなどと4人で1902年に心理学水曜会を始めたが(1908年にウィーン精神分析協会に発展)、1910年に国際精神分析学協会がつくられて、ユングが会長になった。
翌年アドラーが退会し、1914年にはユングが退会している。
つまり、精神分析学は約100年前に国際的な研究が進み広がったのである。
国際神経精神分析学会のホームページを見たら、かなり充実した活動をしているようで、情動、記憶、性・ジェンダー、無意識、右脳、夢と精神病などのテーマで、国際会議が毎年すでに行なわれていた。
「フロイトの夢」が実現化される時代になってきたのである!
これは、遠い未来の話ではなく、ここ10年くらいで、かなりの成果があがるような気がする。いや、すでにだいぶ面白い成果があがってはいるものの、日本の一般の人々には伝わってこないだけのようにも感じている。
というのは、最近買った本に『心の地図---精神分析学と神経科学の交差点』F.M.レヴィン著、監修・竹友安彦、監訳・西川隆、水田一郎(ミネルヴァ書房、2000年5月刊、本体4600円)がある。
同書は1991年に書かれた本である。まだ拾い読みで読み終わっていないのだが、内容は著者の研究成果が書いてあり、専門的に充実していてよい本のようだ(「ナビ1」でフロイトをするときに、内容をやさしく紹介する予定)。
よい書名で、脳の基本的なことや研究の全体像がわかるのではと期待して買ったのだが、それは満たされなかった。フロイトの精神分析学を知らない初めての人には難しい内容かもしれない。
同書が書かれてから、すでに14年もたつので、その後、いろいろなことが専門家の世界ではすでに明らかになってきているのだと思う。
「日記」(10/17)のなかで、フロイトの「人間はエロス(性を含む生の本能)とタナトス(攻撃・破壊を含む死の本能)の二つの本能がある」という説に関係することで、細胞死の現象(アポトーシス)が遺伝子によってプログラム化されていて起こるメカニズムを明らかにした3人(ブレンナー、ホルビッツ、サルトン)の研究者が、2002年にノーベル賞を受賞したことも書いた。
このアポトーシスについてわかりやすく書いた本に、『アポトーシスとは何か―死から始まる生の科学』田沼靖一著(講談社現代新書、1996年)がある。
著者は、まえがきで同書の目的を、ただ単に細胞死の研究を紹介することではなく、これまで自然科学でとりあげられなかった「死」を原点として、「生きていること」とは何かを考えなおす新しい方向性を模索することにある。「生から死」への視点を「死から生」に移し変えることによって、生命に対する新しい認識が生まれてくるのではないだろうか、と書いている。
そして、細胞死の科学はさらに、臓器移植にともなう脳死個体の死を含めて、哲学の領域へも確実に、大きな影響を与えていくだろう、と書いている。
同書の中に、フロイトの「死の本能、タナトス」のことは1か所も書かれていないから、著者はフロイトのことを知らなかったのかもしれない。
フロイトは『快感原則の彼岸』(1920年)のなかで,「生と死の二つの本能(欲動)」のことを書いている。クラインなどの一部の精神分析家以外は、科学的な裏づけがないとして認めない人が多かった。
たしかチベット仏教の『死者に与える書』のなかに、「死ぬことを学べば、生きることを学ぶであろう」とあるように、死がわかって初めて「生の尊さ、価値」がわかるのである。
「死」について考えることは決して縁起の悪い暗いことではなく、逆に人間が幸福に生きるために欠かせないことなのである。
いつまでも生きていると思うから、自分と人に対して粗末に対応するのであって、お互いに限られた時間の中を生きていることを自覚できれば、「生命の尊さ」を感じることができ、自分と人に対しての対応が異なってくるのである。
今後、フロイトの「エロスとタナトス」の真の意味を正しく解釈して、深めて発展させていく専門家が出てきてもよいように思われる。
脳や遺伝子の科学的な研究で「フロイトの精神分析学」が実証されつつあることは、人間に普遍的な「古典深層心理学」を提唱する本ホームページには心強い動きで、追い風が吹いてきたように感じている。
なぜなら、フロイトの理論は科学的な根拠のない単なる仮説であると考えている専門家が、まだ多いからである。
先ほどのカンデルの「フロイトの精神分析学が依然として最も一貫性があり、説得力のある心のモデルである」という発言は、フロイトの精神分析学を真の意味で「古典精神分析学」として認めていることになると思う。
いずれにしても、フロイトの精神分析学を甦(よみがえ)らせて完成させ、最新の「先端精神分析学」にしようとしているのであるから、ロマン、夢のある話である。
そのことをわかりやすい1冊の本に書いたら、面白い本になるだろうなと思う。
いや本だけではなく、NHKのTVあたりで(民放でも可)、番組がつくられてもいいような気がしている。現在進行形の「海外版プロジェクトX」であるが、新鮮で面白い番組になるように思われる…。
それより、2,3時間の特番(特別番組)がよいのかもしれない…。
いつか本が書けて、読者に楽しんでもらえることに役立てればという、もう一つの新しい「サイコライターとしての夢」をもち始めた。
そのためにも、目先のことを一つずつこなして、「ナビ1」「ナビ2」を早く再開できればと思っている。
第3回 「5巨人へのナビゲーション」 [2005.7.18]
一人の著者が、フランクル、アドラー、フロイト、ユング、エリクソンの5人の深層心理学者だけを、同時に紹介した本やホームページは、日本ではほとんどないと思う。
なぜなら、研究の専門化と細分化が進み、一人の専門家が5人をすべて書くというのは難しいからである。
フロイトとエリクソンは同じ精神分析学系であるので可能であるが、それ以外は別のジャンルとして発展している。ただし、フロイトとユングの関係を書いた本はある。
前回と重複する部分があるが、本ホームページのナビ1,2,3の特色や意味をあげると、次のようになる。
@一般の人にとっては、深層心理学者や深層心理学書との出会いはありそうでないので、出会いのきっかけにな
ること。
A若い「デジタル生活者」の人が本を読まなくても、インターネットで、「深層心理学の3巨人」にエリクソンとフランク
ルを加えた「深層心理学の5巨人」(細山が命名)について、どの説が優れているのかという学者の視点ではなく、
平等に(優劣なく)、それぞれの長所を知ることができ、自分に合った深層心理学者と出会うことができること。
なぜ、「3巨人」に2人を加えたかというと、エリクソンはアドラー以上ともいえる業績をあげたからである。
また、フランクルはユング以上の厳しい生活環境(ナチス・ドイツによるユダヤ人、約600万人の大虐殺「ホロコ
ースト」)を生き抜き、ユングに勝るとも劣らぬ業績をあげたからである。
B読んでくださった方が、個人の悩みを解決して生きるための考え方のポイントがわかり、実践的に役立つものに
していること。
C「深層心理学」の成果を単に悩みの解決だけではなく、自分の心の世界を広げて、生活と人生に生かすことがで
きること。
D本ホームページのナビ7『「男と女」の関係の10段階説』の特に「第8段階」にいたるために役立つこと。
E「社会に役立つことをする」と、心の中に「喜び」と「安らぎ」が生じて、深層心理学的にもよいと知ることができる
こと。 これは、アドラーとエリクソンが特に重視していることである。
逆に、自分のためだけに生きていると、「心を病む」ことになる。(細山も「心の健康法」のために、本ホームページ
をつくっているといえるかもしれない!?)
以上が、ナビ1,2,3の主なねらい、特色と意味である。
つまり、細山の個人的な意見や考えを述べるのが目的ではない(とはいうものの、多少は入るが…)。
あくまで、「深層心理学の5巨人」の考え方や著書をわかりやすく、できるだけ「味付け」をせずに、「生(なま)」で提示して、特に若い「デジタル生活者」の人に直接、「深層心理学の5巨人」と対面して、「心の対話」をしていただくことを目指している。
細山は「サイコライター(Psycho Writer)」として書きながら、「サイコナビゲーター(Psycho Navigator)」の役割をはたそうとしている。
細山のライター、編集者としてのスタートは、広い意味での「実用的な原稿」を書き、一種の「実用書」をつくることであった。
その原点にもどり、本ホームページを「実用サイト」にすることを目指している。
つまり、「よりよく生きることに役立つサイト」である。
本ホームページのナビ1,2のアイデアは、数年前から、深層心理学書など1冊も読んだことなどないという人向けの「実用的な深層心理学の入門書」(単行本)を、自分で書きたいと思っていたので出てきたものである。
新しいパソコンは、その本を書くために買い、入力も始めていた。
ところが書き始めながら、単行本を出したとしても、若い「デジタル生活者」の人が買ってくれるとは限らないと思い、買わない人にも、「デジタル化」しておけば読まれて、「社会に役立つ」ので、つくり始めた面がある。
もちろん、単行本が出たときに、「あわよくば買ってもらえる……」という下心(あるいは本心!?)があるのは否めない。
しかし、それとは別にして、このホームページで多くのことを書くのは無理だなと思い始めている。
だんだん「深入りをしていく」と、ホームページ全体が「重く」なってしまうからである。
本ホームページでは、「いいとこ取り」「つまみぐい」(言葉は悪いが)でよいのかもしれない…。
もう少し、まとまった形で読んでいただくには、やはり単行本にする必要がある。
それで、単行本の執筆を再開しつつあり、できるだけ早い時期に実現化したいと思っている。
詳しくは単行本を読んでいただければと思うが、買っていただけなくても、本HPを見た人が自分に合った深層心理学者と直接、「心の対話」をしていただければ、それに勝る喜びはない(カッコよすぎる?)。
なお、前回「[古典]深層心理学」を高校などの学校教育で教えることを提案したが、現在の日本で生じている殺人事件などや、心を病む人が多くなっている現状を見ると、社会人教育や企業内の社員教育、家庭教育などにも広めていく必要を感じている。
そのためのスタート台、ステップに本ホームページや単行本などが役立ばと思う。
本原稿を仕上げている最中に、「日経新聞」の夕刊(7/18)が、この夏休みに、小学生や中学生に株や会社の仕組みを教える「証券教育」のセミナーが続々登場している、と第一面のトップで報じている。
そのように、「心の教育」、特に「[古典]深層心理学」教育が行われるようにしたいものである。
第2回 「なぜ、5人も紹介するのか?」 [2005.7.15]
なぜ、深層心理学者を5人も紹介するのか?
それは,現代の多くの日本人がかかえている心の問題を解決することに、それぞれが非常に役立つからである。
理由は他に、次の5つがある。
@一人の深層心理学で、すべての人々の悩みや症状が、すべて解決するということはないからである。
5人は、すべて同じ問題・テーマを扱っているというわけではなく、それぞれに得手・不得手の領域、意味と価値
があり、深層心理学全体から見れば、補完しているといえる。
Aわれわれは自分の抱えている悩みに応じて、自分にあった深層心理学者に出会い、その考え方や方法を学び、
自分を変えられれば、悩みや症状を解決できるのである。
しかし、大人でも「深層心理学者との出会い」はありそうで、ほとんどない。ましてや「デジタル世代」の若い人は、
なおさらであり、本ホームページで初めて知ったという人が、一人でも多く出てほしいからである。
B彼らの理論は、自分の悩みや症状を解決するだけではなく、どう生きればよいかということを考える上でも非常
に役立つからである。
C自分が出会った人間が何を考えて、どういう心理状態にあるのかが、自然に「見えてくる」ようになり、対応が楽
になるからである。
D悩んでいる人に深層心理学者を紹介できたり、解決に役立つ考え方を教えることができて、人の役に立つ生き
方ができるようになるからである。
アドラーやエリクソンが重視しているように、「人の役に立つ生き方ができる」ということは、深層心理学的に非
常に大切なことで、心の中に「喜び」と「安らぎ」がわき、「心の健康」によい。一方、自分のことだけを考えて生
きていると、「心を病む」ようになるのである。
ここで、第1回に紹介をしたフロイト、アドラー、ユング、エリクソン、フランクルの5人を、次の3つのタイプに分類すると、理解しやすくなる。
1つ目のタイプはフロイトで、彼は「生物としての人間の心」を明らかにした。
フロイトは人間の心を科学的に解明しようとした。彼は、意識に対して「無意識」を発見し、「精神分析学」をきずき、「深層心理学」の研究への道をひらいた。
精神分析系の精神医学者は、彼の精神分析学を「古典精神分析学」として位置づけているようである。
しかし、「古典」が「基本」というより、「古(くさ)い」というニュアンスで使われているように思われる。
たとえば、物理学においては「古典物理学」というと、ニュートンの物理学を指し、その運動の3法則は、「基本」として尊ばれて、高校の物理で教えられている。現代の物理学は、ニュートン物理学を抜きには語れないのである。
ところが、フロイトの精神分析学の場合には、正規の精神医学や心理学の教育の中に組み込まれているわけではないのである。
つまり、「古典」として尊ばれたり、「基本」として、まだ認められていないのが現状ではないだろうか?
フロイトの名前や精神分析という用語は有名ではあるが、その内容は一般にはあまり知られていないのが現状であろう。
早く真の「古典」として認められ、もっと教えられ知られるようになることが必要である。
最近、脳の研究が進み、心のモデルとして、フロイトの精神分析学を見直す専門家が出てきている。
現在でも、フロイトの精神分析学は、セックスの問題だけではなく、「犯罪心理学」の基本理論の1つとして、またトラウマ(心的外傷)やPTSD(外傷後ストレス障害)、死の問題などを考える上で、有益な視点を与えてくれていると細山は思う。
日本の少年や青年が引き起こしている性犯罪、特に性的な幼児殺しなどについて、マスコミは「心の闇」としているが、フロイトの精神分析学をもとにした「犯罪心理学」から見れば、「原理」はほぼ明らかになっている。
マスコミがリードをして、子どもの心に「心の光」が早くさすように、フロイトの精神分析学を逆に利用することを提案するようになればよいのだが、残念ながら、それだけの「力」はなく、まだ時間がかかるであろう。
つまり、フロイトの理論は、現在、課題になり始めている青少年の性犯罪者の「更正」のための自己分析、自己理解、教育にも非常に役立つであろう。
今後、高校生などの学校教育(可能であれば中学校あるいは小学校から)の中で、生きることに役立つ「[古典]深層心理学」を教えていくことがよいように思われる。
もちろん、ポイントを絞り、わかりやすくする工夫が必要であるが……。
本ホームページのナビ1,2,3が、それに少しでも役立てればと思う。
2つ目のタイプは、アドラーとエリクソンである。
二人は、心理・社会的な視点から、人間の心の発達を明らかにし、人間が社会の中で、どう成長をして生きたらよいのかを教えてくれる。
正確には、エリクソンは歴史的な視点からも考察して、「自我心理学」をきずいている。
アドラーは、現在の日本で多くなっている「いじめ」や「登校拒否」、「ひきこもり」だけではなく、非行や犯罪をしてしまう少年や青年など、劣等感を持った人間が克服する有効な考え方(「共同体感覚」)を教えてくれる。
また、エリクソンは、現代の日本で多くなっているニートやフリーターなどの青年などが、人生について考えて、アイデンティティ(自我同一性)を見つけて、モラトリアム(猶予期間)状態を早く脱することに役立つであろう。
それだけではなく、中高年者がリストラや倒産、定年などで、今までのアイデンティティや人生について再検討をせざるを得なくなったときや、自分の晩年や一生を考える場合にも役立つ。
アドラーとエリクソンは、自らの悩みを解決したり、生きるうえで役立つだけではなく、教育者や親になった人が子どもを育てるときにも、非常に有益な視点を与えてくれる。
3つ目のタイプは、ユングとフランクルである。
心理・宗教的(神話、哲学を含む)な視点から、フロイトがいった無意識より、さらに深くにある無意識を明らかにしている。
ユングは主に神話から「集合的無意識」、フランクルはユダヤ教をベースにして「精神的無意識」「無意識の神」を明らかにしている。
専門家がミクロ(小局的)にユングとフランクルの無意識を考えると、まったく異なるということになるかもしれないが、細山はマクロ(大局的)に考えて、「集合的無意識」と「精神的無意識」の二つに「仏教的無意識」を加えて、人類に共通の「普遍的無意識」を提案した(ナビ1「心を楽にしてくれる考え方」フランクル第3回参照)。
ユングとフランクルは、自分がわからなくなったり、人間不信におちいったり、精神的な危機に直面して絶望的になっている人、うつ病や自殺願望を持っている人などに「逆境を脱する考え方」を教えてくれて、心を楽にして救ってくれる。
神話や仏教的なものに関心がある人はユングから、欧米の思想・哲学・文化・ユダヤ教・キリスト教などに関心のある人はフランクルの本から読むと、入りやすいであろう。
普通の人間が思いつかない「新しい自分(自己)と心の世界」を明らかにして、われわれが表面的な「自我」、意識にとらわれて生きてしまっていることに気づかさせてくれる。
それだけではなく、「普遍的無意識」に気づいて、それに基づいた生き方ができたときに、男女関係がうまくいくことも教えてくれる(本HPのナビ7『「男と女」の関係の10段階説』の第8段階)。
上記のように、大きく分けて3つのタイプに分けられるが、細かく見れば、アドラーとエリクソン、ユングとフランクルはそれぞれ異なるので、5つのタイプに分けられる。
つまり、それぞれが異なる深層心理学だといえる。
なぜか?
それぞれが、自分の子どものときの体験、あるいは夢などの疑問を解こうとして、一生をかけて探求をして(探求せざるを得なかった)、それぞれの深層心理学をきずいているからである(第1回を参照)。
つまり、それぞれが自らの体験にこだわり続けて(とらわれて)、各人が深層心理学をつくっているのである。
ズバリ言ってしまえば、各人が自らの体験に「縛られている」ので、関心、問題意識の「ありよう」が異なり、体系化した理論も異なるのである。
どの深層心理学が一番優れているかを論じるのは、専門家、学者にとっては大いなる意味があるが、われわれ一般の人間にとってはあまり意味がない。
われわれは、自分の悩みの解決に役立つ「相性」のいい深層心理学者と、その考え方・方法に出会えればよいのである。つまり、それぞれの深層心理学に「意味と価値」がある。
そして、豊かな心の世界を開くことができ、生き方を変えて、人生を充実させていくことに役立てることができればよいのである。
その「かけ橋」になればというのが、ナビ1,2,3である。
第1回 「5人の深層心理学者」 [2005.7.4]
フロイト、アドラー、ユングの深層心理学の三巨人と、
エリクソン、フランクルの5人について、簡単に紹介をします。
(1) S.フロイト (1856〜1939)
モラビアのフライベルク(現チェコ)で、長男として生まれる。4歳のときにドイツのライプチヒからウィーンへ引越す車中の夜、着替えをする母親の裸体を見て、性的願望を持った(父の死後、夢で見て、自己分析のきっかけとなる)。
神経学や解剖学を研究した後、ヒステリーの研究を行う。最初は催眠法による暗示に興味を持つが、後に「自由連想法」をもちいる。
神経症が過去のトラウマ(心的外傷)によることを発見し、これを意識化して発散させたり、昇華させると治ることを明らかにする。
1899年に『夢判断』を著し、「無意識」についての研究の道を開く。
1904年にスイス、チューリッヒのブルクヘルツリ精神病院のオイゲン・ブロイラー教授と助手のユングから支持される(ユダヤ人以外からの初めての支持)。
ヒステリーの多くは性的な抑圧が原因であることを知っていたフロイトは、1905年に『性についての3つの論文』を著した。
その後、人間の心は「エス(イド)、自我,超自我」からなることや、「生の本能(エロス)」と「死の本能(タナトス)」があることなどを明らかにして、「精神分析学」をきずいた。
1938年にロンドンへ亡命したが、翌年亡くなった。享年83歳。
(2) A.アドラー (1870〜1937)
オーストリア、ウィーンで生まれる。6人兄弟の2番目。幼児期にくる病であったり、5歳のときに死にそこなうなど病弱であった。一方、兄は成績が優秀で活発であった。
1902年にフロイトがつくった心理学水曜会(1908年にウィーン精神分析学協会へ発展)の設立メンバーの一人。フロイトが性を重視するので納得できずに、1911年にウィーン精神分析学協会を退会する。
自ら身体が弱かったことから、「器官劣等性」を唱え、「力への意思」を重視して、劣等感を克服するためにも、「共同体感覚」の必要性を明らかにした。「個人心理学」をきずく。
1935年にアメリカへ亡命。1937年、イギリスのスコットランドを講演旅行中に心臓発作で亡くなる。享年67歳。